境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

私言いたいことなんでも言います。の裏側

このまえTwitterを見ていて、

 

「私言いたいことなんでも言います。」ってタイプの人間は、周りがその辛辣すぎる発言にドン引きしてるのにも気付かず、本質ついてやったと勘違いしてる社会性のない人間だ。

 

 みたいなツイートを見て、自分のことを言われているような気持ちになった。

 

私はどっちかというと、思ったことをオブラートに包まず伝えてしまうほうだ。

人によるけど、関係の深くない相手になればなるほどそう。

それは、自分の特徴を早々に差別化して興味を引きたい。願わくば、そんな私を面白がって仲良くしてほしい。そんな下心から来ている。

 

たしかに、一言も発しない子供の頃と比べたら劇的な変化だと思う。

だけど、これでもコミュニケーションの取り方にはずっと悩んできたし、今でも悩んでいる。

その結果いまの身を削るスタイルになっている。

 

そう。

別に、思ったことを何でも発言しているからといって、相手が感じる気持ちのことや自分の立場が揺らぐことをまったく考えずに言ってるわけじゃない。

むしろ、相手がどうとらえたかなんて数日間、いやもしかすると永遠の懸案事項になりえるし、その発言によって自分が嫌われてしまった可能性があるとしたら、それこそ永遠に後悔する事案だ。

 

私を学校という環境に迎え入れてくれた恩師の話

小学校2年生まで人と喋るということを一切してこなかった(これは誇張ではなく、事実。家族以外とは会話したことがなかった。)人間にとって、自分の感情を人に伝えるということは理解できないくらい難易度の高いことだった。

 

小学1年、2年の担任の先生たちは、ある意味問題児だった私のことを静かに見守ってくれたけど、私がクラスの一員として存在するための手伝いまではしてくれなかった。

両親も、私のことをただ黙って見守っていた。

私は喋れなかったけど、特別学級に入ることもなく、一般的なクラスで過ごした。

 

そんな中で、小学校3年生の時の担任の先生は、私がはじめて心を開いた他人だった。

いま思うと、先生は私がクラスになじめるようにものすごく考えてくれていたと思う。

いままで周囲の大人たちが割れ物に触れるかのように私のことを扱ってきたのに対して、先生は他の児童とまったく同じように扱った。

学校という空間の中で私が最初に言葉を発したのは授業中の発言だったと思う。

もちろん私が自ら手を挙げて発言することはなかったが、ごく自然に、私に意見を聞いてくれた。それから、私は授業中に自分で手を挙げることができるようになった。

 

クラスの友達とのコミュニケーションは相変わらず苦手で、喋っても強がりだったり、意味不明な返事をしてしまうことが多く、仲間はずれにされていたのは辛かった。

体育の授業の前、体育館までの渡り廊下をひとりで歩いてることにも寂しさを感じるようになっていた。

それでも先生は、自宅までサトウキビを持ってきて見せてくれたり、私が大好きで毎日書いていた日記や自由研究についていろいろと興味をもって話しかけてくれたり(それに言葉で答えるという形で、私は喋ることに慣れていった)、私の感性の部分を刺激して感情と言葉を引き出すことを常に考えてくれていた。

 

北海道に旅行に行ったとき、はじめて他人にお土産を買う経験をした。

先生は、私が小樽で買ったガラスの器を喜んで受け取ってくれた。

 

そんな恩師は、私が高校生のとき、40代で亡くなった。

 

4年生まで、人とコミュニケーションを取ることができなかったけど、その頃の私には勉強が味方になってくれていた。

3年生のとき、授業中に手を挙げて発言するという経験を先生がさせてくれたから、授業中だけは積極的でいられた。成績も良いほうだったから、推薦で学級委員に選ばれたり、人前に出る経験もするようになっていた。

 

5,6年生になると、周りのみんなが子供だけで遊びに行くという経験をし始めた。

でも私は親の許可がもらえなくて、友達とゲームをすることも、カラオケに行くことも、当時流行っていたプリクラを撮ることもできなかった。

でも親に反抗することができなくて、ダメと言われたらダメだと思っていた。

でも友達の誘いを断るのは本当に辛かった。

いま、飲み会や友達からの誘いにこたえられないときに強い罪悪感を感じるのは、この時の経験が確かに根底にあると思う。

 

私は結局大学生になるまでカラオケに行ったことがなかった。

 

コミュニケーションを学ぶ場がなかった人間の葛藤

小学校の6年間というのは、人とのかかわり方やコミュニケーションを学んでいく大事な時期だと思う。

でも、私はこのように、コミュニケーションを学ぶ機会が人より格段に少なかった。

だけどそれをみんなに追いつけるように教えてくれる人もいなかったから、そのままの状態で大学まできてしまった。

そして29歳になったいまも悩んでいる。

 

私はいつも自分の発言の正否を気にしているし、小学校の頃何度もしてしまったように、人を嫌な気持ちにするような発言を、いまだ無意識にしているかもしれない。

 

だんだんと「自己開示する」というコミュニケーション方法を習得したのだけど、「自己開示」と「自己犠牲」の違いが理解できないでいた。

 

自己開示しているつもりが、自分の印象を悪くするような発言をしていて、自己犠牲を払うことになっていたり、人との距離を縮めたいあまり踏み込み過ぎて失礼な発言をしてしまい、これもまた自分から人を遠ざける意味で自己を犠牲にしてしまっていたり、なかなか人との距離感がつかめずにいる。

 

だけどそれでも、人と距離を縮めて仲良くなるための一手段として、「私言いたいことなんでも言います。」というキャラをつくってきたわけだ。

 

もちろんいまの状態が完成形だとは決して思っていないし、それが唯一の正解だとも思ってない。

 

だけど、冒頭に挙げたつぶやきのように、ある側面だけを見て真っ向否定することかな?

自分の自慢をするつもりは毛頭ないけど、「思ったことをなんでも言う」というスタイルは、私が苦悩して手に入れたひとつのコミュニケーション手段だ。だから、そう簡単にくくられて非難されることはどうしても悲しい。

 

発達障害についてもそうだけど、人間のタイプやコミュニケーションの取り方について一方的に非難するのは偏見だ。

私だけが苦労しているわけではないけど、みんなが普通にできるコミュニケーションをできずに、大人になった人間は、本人も大変なんだ。

 

もちろんそれに気付かず、改善する気もなく、周囲に迷惑をかけまくってるとしたら非難されてもしかたないかもしれない。

でも、持っているものが少なかったり、必要なものが欠落していたりして、うまくできない中努力している人は、責めるべき対象ではないと思う。

 

あなたが見ている「私言いたいことなんでも言います。」という人間の中には、こんなバックグラウンドを持った人間もいるよっていうことを書きたかったのと、私はこれから自分のコミュニケーション方法をアップデートしていくんだという意思を込めて書きました。