境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

幸せになるための方法

私たちは誰しも、幸せになりたいはずです。

 

このブログを読んでくれてる人の中には、いま現在、生きづらさに悩んでいたり、自分の居場所のなさに苦しんだりしている方がいるかもしれません。

私もそうです。

 

繊細で、感受性豊かで、人の視線の動きとか口元の動きひとつ見逃さず、ささいな変化を敏感に感じ取って、傷ついたり、非難されているように感じたりする方も多いと思います。

 

たしかに、人間関係はツライし、仕事もツライ。

給料は上がんないし、人の視線は気になるし、何をやってもうまくいっていない気がする。

友達はいないし、家族ともうまくいかない。

 

巷では、

経済が発展すると幸福度が下がるとか、生きる苦しみを幸福のカテにすべきとか、貢献感を感じることが幸福だとか、

幸福について色々な論が展開されているけど、

 

昨日脳科学のセミナーに行って、幸福についてちょっと思うところがあったので書き残しておきたいと思います。

 

 

幸せになる方法

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結論からいうと、私が思う、幸せになるための方法はたったひとつ。

自分や他人、ものごとへの期待値を下げることです。

 

統計データから見た「幸福」

様々な統計的データによって明らかになっていることですが、

幸福感を決めるのは、環境の客観的な条件(お金持ちであることや社会的地位が高いことなど)ではなく、個々人の内的特徴(信仰心やものの考え方など)である、ということがわかっています。

 

また、幸福感を持っている人に共通する特徴は4つあり、

  1. 自分自身のことが好きであること
  2. 主体的に生きている感覚を持っていること
  3. 楽観的であること
  4. 外向的であること

この4つの要件を兼ね備えている人が、幸福感を感じやすい人だといわれています。

 

脳科学的「幸福」

また、脳科学の研究でも、 

幸福感は目の前に提示された報酬の価値ではなく、予測していた報酬と実際の報酬の誤差によって生じる。

つまり、期待値と実際との差がプラスに大きければ大きいほど、人は幸福感を感じやすいということがいえます。

 

例を挙げると、いま現在、年収が高いことより、去年との年収の差が大きければ大きいほど人は幸福感を感じる、ということです。

ボーナスが2か月分もらえるというそのことよりも、1か月だと思っていたのが2か月分だったという事実のほうが幸福感に繋がりやすいということです。 

 

うつになる人はポジティブに考えやすい!?

これ、ちょっと意外だったんですが、

うつ病の研究によると、うつ病の人は物事の結果をとてもポジティブに予想するそうです。

 

つまり、期待値がうつ病でない人より高いということ。

これは研究結果で明らかになっているうつ病性障害の症状のひとつです。

 

自分や他人に期待しすぎるのは、うつ病の症状なのだといえるでしょう。

 

私の体感で言いますが、

このくらい評価されるんじゃないか。

人がこう言ってくれるんじゃないか。

そういう予想はとてもポジティブにしている気がします。

 

結果、思い通りにいかなくて落ち込みます。

 

期待値が高すぎて、実際のギャップを大きく感じやすい人、理想が高すぎる人は、

うつ病になる確率が高いといえます。

 

じゃあどうしたら幸せになれるの? 

私もそうなので自戒を込めて言うけれども、

自分はもっと仕事ができる、お金持ちになる、幸せになれる、いい結婚ができる 。

 

そんなことないんです。

 

いまの自分が本当の自分。

上には上がいるのは事実だけど、

私は私のレベルで頑張る、でいいんじゃないか、

楽になれるんじゃないかと思いました。

 

こう言うと投げやりな感じがしますが、そうではなくて、

期待値を下げられることが、能力のひとつだと考えたらどうでしょう。

物事を正確に捉える能力とも言い換えられると思います。

 

自分のできる限界を倍まで増やすより、自分のできる上限を正確に把握するほうが簡単だし、内省できているという意味で素晴らしいことだと思います。

 

幸せについて書いた背景(おまけ)

昨日こんなことをTwitterでつぶやきました。

 

完全に世の中のせいにしてます…

 

昨日は、会社の会議が1日に4つ続いてたんです。

でもそのうち3つはうまくいきませんでした。

 

一つ目の会議は、複雑なある作業フローの作成会議で、みんなが言っていることにまったくついていけませんでした。

二つ目は上司との面談で、うまくいっている案件がうまくいっている理由をすごく問い詰められ、理由をちゃんと説明できませんでした。

三つ目の会議では、自分の作ったデザイン案を根本から全否定されました。

 

でも私、自分にすごく期待してたのかもな、って思います。

準備不足だけどなんとかなる、という自分への期待。

結果がよかったことに満足してその要因を洗い出せてないにも関わらず、結果を褒めてもらえるだろうという期待。

自分のセンスへの過度な期待。

 

それらの期待をくじかれたことで、

すごいショックを感じて、昨日は何で自分はこんなに何もかもできないの?

と弱音を吐きたくなりました。

そして、そんな私を受容してくれない会社や世間に不平不満を言っていました。

 

Twitterでもブログでも、ネガティブなものは排除されがちです。

もちろん排除する側の気持ちもわかるし、そういう人がいてもいいと思うけど、

 

私は世の中のポジティブ万歳論にどうしても賛同できません。

性善説を唱えたり、毎日すべてにありがとうと言ったりするような生活はできません。

いまの会社でいちばん仕事ができるようになりたい!と夢見ることもできません。

 

だから、無理をせず、自分や他人や物事に対する期待値を下げるほうが自分に合っているような気がしてきました。

 

期待値を下げるだけで幸せになれるんだったらそのほうがいい。

 

例えば、私はその場でなんでも理解できる脳は持ち合わせていないと思うこと。

うまくいっていることもずっとは続かないこと。

自分のセンスなんて人によって好き嫌いがあること。

 

そのくらいの期待値を持った上で、自分のするべきことを考えようと思ったのでした。