境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

アイデンティティの喪失

私には、いますごく怖れていることがある。

私は、いままでの自分を捨てるのがすごく怖い。

いままで確立してきた自分がなくなりそうで怖い。

 

もちろん、いままでの自分は嫌いだ。

自分勝手で、生き急いでいて、人と仲良くできなくて。

 

だけど、せっかく築いてきた自分でもある。

 

私は私なりに自分の居場所を探してきた。

 

 

偽物の自分 

今までの私は、男性依存を持ちネタにし、

年上の役職付きの人になれなれしく接するのが、特技だと思っていた。

 

誰とでもなかよくなれる。

隠し事なく話ができる。

なんでも言える。

 

常識がない(ふりをする)ことが、私の強みであり、

アイデンティティなのだと思っていた。

 

もちろんそれを嫌がる人もいた(特に女性)。

だけど、それを面白がってくれる人もいて、

私はそれで生きていこうと思っていた。

 

でもそれは全部うそなんだ。

強がって、人と違う自分を、自分を犠牲にして演じていた

 

カウンセリングの経過とともに、

過去の衝動的なそれらの行動が、

自傷行為に似たものだと気づき、

 

性依存の部分が恥ずかしくなり、

常識がないことも恥ずかしくなった。

 

本当の私はからっぽ

でもそれらの行動をやめた私は驚くほどにからっぽだ。

 

人と話そうとする時に今日の天気の話くらいしかできない。

そんなつまらない人間だ。

 

「良く笑う」「笑顔」

私の第一印象としてほぼ100%挙げられていた笑顔も、

今はつらい。

 

私には、会社のほかの人みたいに人脈も経歴もない。

やってきた仕事も薄っぺらい。

好きなことや得意なこともない。

 

だから、話すことがない。

 

無理をするのをやめようと思ったら、

人と話すのがつらくなった。

笑うのもつらくなった。

 

これで正解?

 

私は人とコミュニケーションを取れるようになりたかったはずなのに、

逆に取れなくなっている。

それなのにこれが正解なの?

 

やっぱり少しくらい無理しないといけないのかな。

 

そもそも「楽に生きたい」と「友達に囲まれたい」という願いが共存することはないのだろうか。

 

カウンセリングの一種の過渡期なのかもしれないけど。

 

楽になろう。

無理するのをやめよう。

それは私にとってコミュニケーションを放棄することだった。

 

それでも人とかかわりたい。

愛されたい。

私のことを意味ある人間だと思ってほしい。

 

そんな欲求だけが先走って、

体はついてこなくて、

 

前とは違う意味で、心と体が切り離されていくような感覚になる。

 

私の本体はどこにあるの?ないの?

もっと生命がみなぎるような本体が私の中にあるはずだと思っていた。

 

私を覆っている「無理している私」を脱いだら

ハイジのように野原を駆け回るような、天真爛漫な少女が出てくるのだと思っていた。

 

でも実際は、幼稚園時代の自閉症期の私が戻ってきているだけ。

 

人とかかわらない。

目をあわせない。

それがとっても楽だ。

 

自分の世界にこもりたい。

そんな衝動に駆られる。

 

コミュニケーションを取れる私を育てるために、

3歳の私からまた人生を進んでいかないといけないと思うと、気が遠くなる。

 

強がってなんでも言えた私が、無理をして創り上げた虚像だったのは確か。

だけど、こんなからっぽな、空洞みたいな自分で生きていくのはつらいなあ。

 

なんだかわからなくなってきた。

なにが正解かわからない。

 

 

 

 

いままでの感覚や知覚や骨組み、慣れ親しんだ会話の流れ。

いままでの勝ちパターンを捨ててまで、

私はなにを手に入れようとしているんだろう。