境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

弟への嫉妬

可愛い弟

私には3つ下の弟がいる。

 

小さい頃からくっきり二重で可愛く、いつもニコニコしていて、中学に入るくらいまではよく女の子と間違えられていた。

中学に入る頃からは、ジャニーズに入ればいいのに、とか周りによく言われていて、女の子がプレゼントを持って家を訪ねて来たり、人気があったみたい。

私は小学校高学年頃まで、そんな弟を自慢に思っていた。忘れ物を届けに弟のクラスへ行く時、誇らしい気分になっていたのを思い出す。

 

小さい頃、私の遊び相手は弟だけだった。

母はいわゆる「ママ友」をつくらず、外の公園に連れて行ってもらうこともなかった。なので、私の遊びはいつも自宅の中と自宅の庭で完結しており、必然的に遊び相手は弟だけだった。

 

弟が、とても可愛い顔だという事を幼いながらに理解していた。

そして、女である自分より、男の弟の方が可愛いという事も。

 

でも、7歳そこらの幼い私はまだ、自分を誰かと比較したり、他人に嫉妬したりという事を知らなかった。

可愛い顔をしている弟を人形のように可愛がり、フリフリのレースがついた女の子の服やスカートを着せ、リボンのついたゴムで髪を二つ結びにして遊んでいた。

でもなぜか、自分の見た目には頓着しなかった。弟には徹底して可愛い格好をさせるくせに、私はいつもトレーナーに長ズボンという、男みたいな格好をしていた。

私の世界にある「可愛い」の全ては弟だった。

 

私は「可愛くなりたくない」

当時から自分の服はどうでも良かったし、見た目なんて気にした事もなかった。

ただ、たったひとつ徹底していたこだわりがある。

それは、自分を「可愛い」から徹底的に遠ざけること。

母は、幼児趣味のようなフリフリの服を好んで買いたがったけれど、私がずっと言っていたのは

「何の飾りもない服がほしい」

 

当時、家庭が割と裕福だったので、1着1万円を超えるような「地味な服」をデパートで買ってもらっていたけれど、私はそれがとても嫌だった。

 

まず、服を買いに行く事自体が嫌いだった。

可愛い服ばかり勧められる不快感。

試着をするたびに知らない大人にジロジロ見られる不快感。

知らない大人と喋ることなんて出来ないのに、店員と一緒になっていちいち私に意見を求めてくる母親。

 

そして、わざわざ週末にデパートまで行って高い服を買う嫌悪感。

私は服にこだわりがないのに、わざわざ高い服を買う意味がわからない。

みんなみたいにしまむらで買えばいい。

でも、お母さんにそんなこと言ったら嫌な顔される。

だから言えない。

なるべく目立たない、特徴のない服を選ぼう。

いつも選ぶ基準はそれだけ。

 

自分の顔をはじめて見た

中学に入り、人並みに好きな人が出来てから、私ははじめて自分の容姿を気にするようになった。

 

はじめてまじまじと見る自分の顔。

奥二重で、目が離れてて、顔が丸い。

そして、歯並びがものすごく悪い。二本飛び出た大きい前歯、口を閉じても形がわかるくらいの八重歯。

はじめて、自分の顔が嫌いだと思った。

弟みたいに可愛い顔に生まれれば良かったのに。

何度も何度も、そう思った。

 

人生最大のコンプレックス

そんな中、弟が歯列矯正を始めた。

でも、弟の歯並びはそんなに悪くない。

なんで?と母を問い詰めた。

なんで、明らかに歯並びの悪い私には歯列矯正をしてくれず、元々歯並びの綺麗な弟にはするの?

 

母は、今のうちだと早く綺麗になるんだって。〇〇(私)の頃は歯医者さんに矯正勧められなかったんだよ。〇〇(私)の歯は大きくて伸び伸びしてる感じがするし、八重歯も可愛いよ。

そう言った。

 

その時は、私の場合は歯並びが悪すぎて矯正が難しいのかな、なんて思って納得してたかもしれない。

 

でも、少し経って、弟が何十万かかった矯正をやめた。

理由は、「気になるから。」

母もそれを許した。

 

私は、それが今でも許せない。

私がずっと悩んできた歯並び。

一時期はカメラを向けられると体が硬直するくらい気にしていた歯並び。

狂ったように、出ている歯を指で押し続け引っ込めようとした歯並び。

自分の部屋にこもって、鏡の前で歯が目立たない笑い方を必死に練習した歯並び。

 

私が正社員になりたい、お金が欲しいと思うのも、矯正がしたいから。

お金のない時期にも矯正をしたいと言い続け、今それどころじゃないだろ、と旦那に言われ何度も喧嘩した。

 

そのくらい私の人生最大のコンプレックスである歯並び。

そんな歯列矯正を、「気になる」という理由だけで弟はやめた。

 

登校拒否、そしてニート生活

弟は中学の途中から学校に行かなくなった。学校に行かなくなってからは、ずっと自分の部屋にこもっていた。夕方くらいまで寝ていて、夕飯の時だけ部屋から出てくる。夜中はまた部屋にこもって何かしていた。完全に昼夜逆転の生活。

 

当時は、私の家庭内暴力がひどかった。

無抵抗の両親を怒鳴りつけて、家の壁を壊し、勢いでガラスに腕を突っ込んで大怪我したり、家にはほとんど帰らなかった。

私の怒りは引きこもりの弟にも向いて、顔を合わせれば理不尽に殴りかかっていた。弟も、両親と同じく無抵抗だった。

あの頃、私に反抗する人間はひとりもいなかった。(と思っていた。)

 

学校の先生だって同級生だって私のことを無視するし、彼氏は私の言いなり。友達も、私を「そういう人」として扱ってくれる。警察だって優しく諭してくれる。

私はそんな人達の上に立っている錯覚に陥っていた。

 

そんな私だったけど、なんとか気持ちを立て直して、家を出たい一心で大学を受験。18歳から東京で一人暮らしをはじめた。

その頃弟は、中学の担任の先生がなんとかしてくれて高校に入学したもののすぐに中退。

やっぱりな、とは思ったけど。

 

弟はそのあと通信制高校に通い高卒資格を取ったけれど、そのあとの大学受験で第一志望の大学に落ちて、進学を諦めた。

予備校に通ってもう一度受験したけど、やっぱりだめだった。

唯一受かった福祉系の大学は「行きたくない」といって行かなかった。

それからまた引きこもりの生活をしている。

 

東京で弟と暮らす

数ヶ月前、私が帰省し、たまたま話す機会があったときに「やりたいことがあるから東京に行きたい」という話をされた。

私はずっと弟に暴力を振るっていたから、そのせいで彼はずっと引きこもってしまってるのかもしれないという負い目を感じていた。

だから、自分でやりたいことを見つけて外に出たいと思ってくれたことが嬉しくて、旦那と相談して、居候という形で数ヶ月うちで暮らしていいよ、ということにした。

仕事も、旦那が会社の社長に取り合ってくれて、旦那の会社でアルバイトとして働かせてもらうことになった。

 

だけど、東京に来て3ヶ月、弟は朝から夕方までずっと家で寝ている。料理を作ったり、洗濯したりもしない。仕事は、別の現場でもいいかと打診されたら断った。

理由は「危ないから」

 

弟にあって、私にないものって何だろう?

私のやってきたことひとつひとつは間違ってたかもしれないけど、私はずっと何か正解を、本当の自分を探して、必死で生きてきた。

お金がない時期もあったけど、昼夜ダブルワークして、奨学金をもらって大学に通ったし、親からの仕送りは拒否した。反抗期に酷いことをしてきたからその反省として、親からの援助はもらわないで生きていくと決めていた。

 

20歳で結婚して、結婚式も挙げず、結婚指輪もなく、子供が生まれても、借金して、夜勤で働き、ようやくここまで来てるけど、家庭を持ってからも自分達の力で生きていくと決めて、ずっと必死だった。

 

必死すぎて、格好なんて気にしてる暇なかった。仕事なんて選んでられなかった。今月どういきていけばいいんだろうと毎日思っていた。

とにかくずっと仕事をしていた。ずっと子供と一緒にいた。毎日生きることに必死だった。

 


「甘えてる」

私が弟に抱いてる気持ちはずっと一貫している。最近になって、中学に行かなくなった理由を聞くと「部活の朝練が嫌だったから」らしい。

 

矯正もそう。中学も、大学受験も仕事も夢も全部そう。
嫌だからやめればいい。
やりたくなければやらなくていい。

やめても「誰かが助けてくれる」

弟は、ずっとそうやって周りに甘えて生きてる。

 

自分は誰にも頼らなかった。

頼りたかったけど頼れなかった。

誰も助けてくれなかった。

誰も私のことを見てくれなかった。

なんでも自分で決めなければいけなかったし、相談することも出来なかった。

ずっと、ずっとひとりだった。

 

弟が羨ましい。

努力しなくても周りに助けてもらえる。

ずっとぬるま湯に浸かっていればよくて、そこから出るのを急ぐ必要もない。

苦しいことはしなくてよくて、嫌なことを我慢しなくても誰かが生かしてくれる。

頑張らなくても、誰かが見てくれてる。誰かが手を差し伸べてくれる。

 

私が「私を見て!」と身体全体で死にものぐるいで叫んでも、誰も見てくれなかった。

でも、弟は自分から何の発信もせず、目をつぶって楽な道を選んで待っているだけで誰かが見てくれる。手を握ってくれる。

 

 なんで?私の方が努力しているのに。