境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

振り返り〜小学校4年生から中学卒業まで〜

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小学校3年生~卒業

母親の規制

小学校3年生の頃です。
 
流行りのゲームがあり、女の子は何人かのグループで「交換日記」をしていました。
 
私の母は、当時の田舎では珍しい晩婚で、30代半ばでの出産だったため、
周りの友達のお母さんたちよりひとまわり歳上でした。
 
流行りの言葉(今では普通に使うけれど、「超」とか「マジで」とか。)を友達の真似をして言うと、
「何を言っているの!?」とこの世の終わりかと思うような反応をされました。
 
テレビは必ずNHK。
見ていいアニメは、ポケモンと、地元のローカルテレビで放映している古いアニメの再放送のみ。
怖い(バトル系やホラー系)CMが流れたら「みちゃだめ!!」と叫んですぐテレビを消す。
21時以降はテレビ禁止。
ゲームや漫画などは触ったこともありません。
 
だんだんと、周りの友達との違いを感じるようになってきました。
 
みんなが知っている人気アニメを知らない。
流行りのゲームも知らない。
みんなが口ずさんでいる人気歌手の歌も聞いたことがない。
面白い(らしい)テレビ番組のコーナーや、芸人さんのネタ、芸能人の名前がわからない。
 
それでも、テレビに関して母親は徹底していたので、21時以降の番組などは「見てみたい。」と言い出すこともできず、母の決まりを守っていました。
 

友人に避けられ始めたきっかけ

でも、ある日、学校で仲良くしていた数人が流行りの歌をみんなで歌って盛り上がっていた時、自分だけわからなくて入れないのが情けなくなってきて
 
「その歌聞くと気持ち悪くなる!」
と言い残して保健室に逃げ込んだことがありました。
 
もちろん熱はなく、早退もできず、1時間だけ休ませてもらいました。
 
友達が「大丈夫?」と心配して来てくれましたが、「私が知らないのに、なんでみんなだけで盛り上がってるの?!」というイライラをぶつけるかのように「私本当にその歌聞きたくないんだ。」と言ってしまいました。
 
そして、その翌日から、私だけ避けられるようになりました。
 

孤独

小学校4年生〜卒業までは、そうやってずっとハブかれていました。
 
家が近く、1年の時からずっと一緒に登下校していた友達にさえ
「○○ちゃんと帰るから。」
と避けられるようになり、本当にショックで、いつもひとりぼっちで、絶望的でした。
 

中学校

嫌われないように生きる

中学入学後は、複数の小学校が一緒になり、更に部活動が始まることもあり、人間関係をリセットすることができました。
 
ただ、目に見えていじめられたり、ハブかれたりする事は無いけれど、特別仲の良い友達や、いつも一緒にいる友達、親友などはできませんでした。
 
そのため、いつでも、「ひとりぼっちになるかもしれない」という不安を抱えていました。
 
「いつでも笑顔」
「癒し系」
「怒らなさそう」
 
何かあればそう書かれる私の“印象”。
 
それは、
「嫌われたくない。みんなに好かれたい。」
という強迫観念から出来上がったものです。
 
中学時代までは成績も学年上位で、まさに「当たり障りなく」生きていました。
 
ただ、当時の中学の私の学年はだんだんと荒れはじめ、地元の不良グループに入る子も何人かいました。
 
それにつられて不良ぶる子も多くいて、警察が来たり、授業が急遽「自習」になるのも日常茶飯事。
 
お世辞にも「良い環境」とは言えませんでした。
 
私は不良グループに入ることはありませんでしたが、今まで普通だった友達が次々に髪を染め、化粧をし、教員に反抗する姿は、私に大きな衝撃を与えました。
 

「反抗できる」という希望の光

「憧れ」とは違いますが、
「絶対的権力」だと思っていた教員や親に反抗できる!ということが私の心を揺さぶりました。
 
そしてこんな幼い中学生に、たくさんの大人が振り回されている。
 
今まで100%不可能だと思っていたことが可能になると気付いた時の感動、と言いましょうか。
 
荒れ果てている学校と、急に割られるガラスや壁、パトカーの音を恐れながらも、私の心は少し変化していました。
 
 
 
 
 
長くなるので、次に続きます↓