境界性パーソナリティ障害からの回復

境界性人格障害/境界性パーソナリティ障害の治療過程・回復記録

振り返り〜幼少期から小学校3年生まで〜

実家を出てもうだいぶ経ちますが、いまだに帰省すると、昔と同じ事で親兄弟にイライラしている自分がいます。

 
特に、母親に対しては、良い感情も悪い感情も強く感じるのでしょうか。
 
父や兄弟に対してはそこまで思わないのに、母に対しては
「あなたがそんなだから、私はこうなってしまったんだ」
という気持ちを抱きます。
 
育児支援センターの方に言われた、「不登校や非行の原因は、ほとんど親にある」というのを勝手に頭に刷り込んでいるのかもしれませんが。
 
 

幼少期

母は、弟の産後仕事を辞め、私の記憶がある頃からはずっと専業主婦でした。
 
母は神経質で、洗濯も細かく分けて洗うし、料理の消毒なども丁寧でした。
 
小さい頃は、「何でも出来る完璧なお母さん」というイメージを母に抱いていました。
 
身の回りのものでパパッとおもちゃを作ってくれたり、
裁縫や工作も得意で、なんでも作ってくれました。
 
優しく、いつも笑顔で、怒ることもなく、
私の味方で居てくれて、そばに居てくれる。
自分を犠牲にしてもやりたいことをやらせてくれる。
 
小学校に入るまでは、家で母といる時間が長かったので、
それで良かったのかもしれません。
 
幼い頃の私は、そんな母と居られてとても幸せでした。
 

幼稚園~小学校

私は幼稚園に通っていましたが、同級生や先生とほとんど喋れませんでした。
 
途中入園だったこともありますが、それまで同い年の子や家族以外の大人と関わったことが一度もなかったので、どうしたらいいのか全くわからなかったのです。
 
 
しかし、小学校はそういうわけにはいきません。
 
色々な子がいるし、休み時間には何かあった時に助けてくれる先生はいません。
 
はじめてその洗礼を受けたのが、入学後間もない時だったと思います。
 

入学間もない頃のショックな事件①

休み時間に、ひとりで本を読んでいると、ひとりの女の子が「その本は私のだ!」と言ってきました。
 
その本は、クラスの本棚にあったものです。
 
それでも、私は言い返すことができずに、じっと黙っていました。
 
女の子は「人のものを勝手に取るな!」と、むりやり引っ張って取っていきました。
 
誰も助けてくれる人はいないし、この本はみんなのものだと反論することもできず、自分は悪くないと主張することもできず、ただただ黙って、涙を堪えていました。
 
とても悔しくて、悲しくて、怖くて、
ずっと「お母さん助けて。」と思っていました。
 
でも、もちろん母はいません。 
 

入学間もない頃のショックな事件②

教室で、座っている時におもらしをしてしまったこともありました。
 
机の横に掛けているコップ入れで拭き、ランドセルで隠し、ずっとドキドキしていたのを覚えています。
 
その時ももちろん、誰も助けてはくれませんでした。
 
 
私は、知らず知らずのうちに、自分の全てを母に託していたのかもしれません。
 
「何かあったらお母さんが助けてくれる。」
 
恐らく、そう思い込んだまま小学生になったのだと思います。
 
しかし、母の目の届かないところに自分はいて、自分のことは自分でしなければいけないという現実を突きつけられた時、理想と現実のギャップを受け入れられませんでした。
 

クラスの最底辺を自覚

2年生の時は、男の子で私と同じように「からかわれるタイプ」の子が一人いました。
 
しかしある日、彼に自分の名前をバカにされました。
 
その時、「私はこの子にすらバカにされるような存在なんだ。」
と、大きなショックを受けたのをよく覚えています。
 
3年生くらいまでは、流行りのものを持っていないことや、あまり喋らないことで、同じように周りにからかわれ続けました。
 

私を変えてくれた先生

小学3年生の時の担任の先生に出会って、私は少し、変わることができました。
 
明るく楽しい先生で、ほとんど喋らない私にも積極的に声を掛けてくれました。
 
活発な子と、喋らない笑わない暗い私。それでも変わらない先生の態度に、はじめて、家族以外の人に心を開くことができました。
 
教科書に出ていた大きなサトウキビをみんなに見せたい、と、そのまま家まで持ってきてくれたり、授業をお休みにしてクラスのみんなで神社に散歩に行き、先生が買ってくれたどら焼きを食べたり、時には、「怖い話をしよう!」と教室のカーテンを閉めて怖い話を始めたりすることもありました。
 
今だったら許されないのだろうけど、先生は、楽しい思い出をたくさん作ってくれました。
 
それまでの私は、学校は怖くて、つまらなくて、何もかも我慢する場所だと思っていたけれど、はじめて心から「楽しい!」と思えました。
 
私は家では、変顔もするし、ふざけたことも言うし、元の性格は暗いわけではなかったので、次第に同級生とも話せるようになり、友達の家に遊びに行ったりも出来るようになりました。
 
 
当時の担任の先生に、はじめて旅行のお土産を渡した時、すごく喜んでくれたことを今でも覚えています。
 
綺麗なガラスの小物入れでした。
 
先生は、上辺だけではなく目の奥もちゃんと笑ってくれるのです。
 
私は本当に先生が大好きでした。
 
クラス全員、先生のことが大好きでした。
 
 
でも、その先生は、私達が高校の時、まだ40代の若さで亡くなりました。
 
善人は命が短い、とよく言われることをその時実感しました。
 
 
「先生のおかげではじめて学校が好きになりました。」
 
伝えたかった感謝と尊敬の気持ちは伝えられませんでした。
 
でも、今でも心から感謝しています。
 
 
 
 
 
長くなったので、次に続きます↓